東京マラソンで亡き息子へ 49歳「パパは頑張るよ」

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「2時間35分」。27年前、箱根駅伝の花の2区を走った東京江戸川区の会社員、及川篤さん(49)はこのタイムを目標に、23日の東京マラソンに臨む。1年8か月前に13歳で病死した息子に約束したからだ。「パパは頑張ってるよ。天国から見てくれるよな」。心の中でそう呼びかけている。

勤務先がある港区から自宅までの約13キロ。仕事が終わるとネオンが映える街をランニングして帰るのが及川さんの日課だ。息を切らしながら走っていると、他界した長男が「僕の方がもっとつらかったんだからね」と、そばで励ましてくれている気がする。

岩手県出身の及川さんは小さい頃から足が速かった。父親を早くに亡くし、学費免除の特待生として入った専大北上高では全国高校駅伝に出場。箱根駅伝の常連・東洋大へ進むと2年生から3年連続でメンバーに選ばれ、4年時はエースの区間の2区を任された。

だが、陸上競技浸けの生活に迷いを感じていた。帰郷して就職した会社の陸上部に伸び悩み、2年で退部。やりたいことを見つけられずにいた時、町内一周駅伝に頼まれ、出場。体が動かない。成績は誘ってくれた近所の人と大差はなかった。

「飛べない鳥になったのか。自分から陸上を取ったら何も残らない」。30歳を過ぎてチームに復帰し、東京に転勤する40歳まで選手や監督を務めた。

小学生になって間もない息子に脳腫瘍が見つかったのは、引退して週末を家族と過ごせるようになってしばらくしたころ。家族全員の闘病生活が始まった。妻の智恵さんは好物のイチゴやうどんをもって朝から病院に通い、夜は篤さんと交代。治療の合間に一時帰宅も許されたが、息子は病室に戻る日曜夜になるとテーブルの脚にしがみつき泣いていた。

三度目の癌再発で息子の死を覚悟し、思い出作りにと各地の観光地や遊園地を回った。看病疲れで夫婦仲はギスギスし、及川さんは皇居周辺をジョギングして気分を静めた。

2011年冬、息子を勇気づけようと東京マラソンに初めて出場。「パパ、ちゃんと目標もってやるからな。2時間35分くらいかな」。レース前日何気なく話すと「頑張ってね」と励ましてくれた。結果は3時間超え。その翌年の6月に息子は六年間の闘病生活を経て他界。「あした運動会なんだ」と話す弟に、うつろな意識で「頑張れよ」と答えたのが最期の言葉だった。

何も手がつかない状態から救ってくれたのも走ることだった。「上を向いて生きていきたい」。長女が指導を受ける地元のジュニアクラブに顔を出し、自身も練習を重ねた。

13年の2度目の東京マラソンは2時間47分。「約束」まで、まだ12分もある。「俺は走ることしか知らないから」。年に一度の舞台で、息子の期待に応えてみせる。来年もその先もずっと走るつもりだ。


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